意図的なのでしょうか

前項まで記述していく中で、私の心の中で疑問に似た思いが生まれました。もし、この世界の創造主が居るとするならば、なぜこんなシステムを組み込んだのでしょう。前項まで記述した事柄や愛や快楽についてもそうです、因縁や愛はこの世の中に必要だったのでしょうか、どちらかと言うとこの世界はそれがメイン課題のような気がしませんか。そもそもイブが口にした禁断の木の実なんてエデンの園に植えないでしょう。禁断なんて物騒な木は必要ないし、しかも、わざわざ食べたらダメって言ってるし。今の私達で言う「フリ」っていうやつに聞こえませんか。熱いお風呂の上で「押すなよ、押すなよ!」って言ってるもんです。しかし、創造主からすると「禁断の木」は必要だったわけです。必要だからエデンに植えて、「食べたらダメ」って告知までしたのですね。しかも聖書ではそのエピソードに注目するように取り上げています。先生が教壇で「はい、ここ試験にでるからねぇ」って言ってるようなもんですね。更にこの聖書に代表される宗教書と言うマニュアルが曲者で、正しく理解すれば良いのですが、その時々の時代背景で都合の良いように様々な解釈がされる事で派閥が生まれ、派閥同士で争いが起きると言うトラップがおまけで付いています。そんな事がこの課題を更に難しくしているように思います。

課題をクリアする鍵

創造主は乗り越えられない試練は与えられないと言われています。もしそうならこの課題は乗り越えられる事になります。そのカギを握るのは無償の愛であるアガペーを私達は理解し、実践出来るのかにかかっています。自然災害の後、被災者の立ち直りには多くの人の助けが必要です。その助けの根底には人としての無償の愛があります。又、テロや戦争などを抑止するのは、人類一人一人の思いや思想の根底に愛が有るのかが問われるわけで、この課題に真剣に向き合い、理解して取り組むと、私達のこの世界は悪き因縁から解放され、突き付けられた課題を乗り越える事が出来るわけです。(今、私の頭の中でジョンレノンのイマジンが流れています・・ 笑)

その先の世界 想像してください
私達は出来るはずです。

その先の世界

創造主は何故私達に課題を与えたのでしょう。 順を追って簡単に整理していきましょう。
先ず1局の神世界から堕天使が生まれ2局になります。そこで神は自分に似せた人間を作り、意図的に禁断の木を植えます。堕天使は蛇に姿を変えイブに木の実を食べるように仕向け、木の実を食べたイブはアダムにも食べるように促しアダムもその実を食べ、私達は「魂」と言う課題を受け取るわけです。「魂の在り方」のページに記述した通り「魂」は木の実を食べた「人」にしか在りません。そして神は直接私達に課題を与えずに2局目の堕天使が関与するようにしています。言い方を変えてみましょう。私達は神から体を授かり、堕天使から魂を授かるようにしています。これは何を意味するのでしょう。そう、神は対等な第3局の存在を作りたいのではと言う事です。そしてこの魂を熟成(課題の克服)させるカギとなるテーマが「アガペー」「無償の愛」なのでしょう。秘数術を編纂したピタゴラスは安定を示す最低数の3が世の中の基本と説いています。この3という事こそ「その先の世界」の姿だと思いませんか。

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