二通りの道
私達に向かってくる因縁の深さ、おぞましさがわかりました。暗くなるようなことばかりでしたけど、ここでもう一度思い出してください。悪い事ばかり考えていましたが、因縁は良きも悪きも返って来るのです。なので、良きを考えてみましょう。
良きことが返って来るように
因縁には善い行い善行もあります。もし悪き事が来たときは、それに振り合わされず「ああ、これには意味があるなぁ 絶対に息子や娘たち、後の世代には渡さない。私の所で止めよう 」と考え、受け入れて忘れる事です。忘れると言う能力は人間にだけ出来る能力だと言われています。忘れる事が出来るのはきっと禁断の木の実を食べた事の副産物です。それを上手く利用するのです。そして善い行いをしましょう。人の役に立つ事や手助け等、色々あると思います。ちょっと例えてみましょう。
私はある時期人から騙され借金を負ったことが有ります。大変な思いをしていました。そんなある時、後輩が私のダメな所を指摘しながらも、仕事をくれたり、思想・行動などのアドバイスをしてくれて、私に手を差し伸べてくれました。先輩に対して嫌事を言うのはとても辛かったと思いますし、そもそも私を眼中から外せば何も気にする事は無いですし、嫌な思いをする事もなかったと思うのです。そして幸運にも私はその後輩の声を聴く耳がありました。今の私が有るのは彼のおかげで感謝の念が絶えません。
この例えは助けられた側の目線の話ですが、助けた後輩は気になる先輩に嫌な思いをしながらも手を差し伸べます。やった事が返って来るのであれば、後輩は困った時に誰かから助けられると言う事になります。返って来るのに時間がかかったとしても、後輩の子供達やその次の世代にそれが返って来ると言う事になります。これこそが良い因縁・善行になると思いませんか。
「私の先祖の誰か(後輩)が大変な思いをしている人(私)を助けたのだろうな。」
もしその当事者が因縁を理解している人だったらきっととそう思うでしょう。そしてその当事者の目線がこの話の「私」の目線と同じになります。
とは言え、私達はどうしても負のスパイラルに囚われがちです。負が来たら負で返すのが簡単ですから。例で言えば何も言わず関係を切れば簡単ですし嫌な思いをする必要もありません。しかし後輩がとった行動は「相手にとって何が最善なのか」と言う目線からでした。必要とあらば嫌な言葉も言わなければならないでしょう、言うべき時にしっかり言える強い自分と、お互いを尊重し合う信頼関係も併せて持っておかないとダメですし、又、そこをしっかりと見極める力も必要でしょう。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、その綺麗ごとを前提にしておかないと自分を見失うと思います。善い因縁・善行はなかなか出来るような事ではないと思います。ですが、小さな事でもいいと思うのです。自分がやれる事、長く続けられる事、この気持ちを忘れず保てる事が大切になると思います。
善い事が無意識に出来るように意識を変えましょう。
もし負の因縁が回ってきたとします。その負の因縁に対して私達はどう振舞うべきなのでしょう。これはとても明瞭な方法で止める事が出来ます。その方法は「受け入れて忘れる」です。負が来た時にそれに振り回されず、「あぁ、これで一つ後世に回るのが止めれる」と思って受け入れます。そして忘れる事です。決して引きずらない事です。忘れる事が出来るのはきっと禁断の木の実を食べた事の副産物です。意識・知性を授かる中に「忘れる」が有るのです。それがある事で負の因縁を止める事が出来ようになっていると思います。そう考えるとこれは創造主が意図的に仕組んだ鍵「キーワード」ではないかと思います。だとするならば、それを上手く利用するほかないと思います。もしこの本質をしっかり理解し無意識に実践する事が出来るとしたら、私達から良き事を次の世代へとバトンを渡す事が出来るのではないでしょうか。

悪しき負の因縁は次世代で返って来ない様にしなければいけません。子を持つ親としては子供たちに自分や先祖のツケを回すような事は絶対に嫌です。私は絶対自分の代で止めてやるって思っています。もし自分に悪しき事が返ってきたら、「これには意味が有る」と思い、全て受け入れて、この事に気が付けて悪しき因縁が一つ消せる事に感謝して忘れるようにしています。この方法を意識して繰り返すことで無意識に落とし込むことが出来ます。以上の方法を無意識に出来るようになれば、次世代に悪しきバトンを渡さなくて済むと思うのです。
